稚内駅で『日本最北端駅到達の証明書』を記念に買いました。
JR稚内駅は日本最北端の駅です。タイミング良くホームに入ってきた『キハ54形気動車』512。国鉄時代の作られた車両の様です。朝6時20分頃でした。
JR稚内駅構内に当時は真新しいモニュメントが有りました。『KANE POPPO(カネポッポ)』と彫った解説プレートが在りました。
『KANE POPPO(カネポッポ)』、「彫刻家 流政之の作品である 樺太が日本領領土であった時代 機関車の汽笛代わりに使われていたと伝わる 日本とロシア鉄道友好の証として最北の駅で旅人をむすぶ」と彫ってありました。
駅の最北端とは別に駅から少し北に延びたレール。この終点には『日本最北端の線路』という碑が有りました。そしてその先は線路がまだ先に続いてる様な線がありました。
『道の駅わっかない』から見える『稚内港北防波堤ドーム』もうそこに見えてるけれど、行けばその分、時間が取られるので望遠で写すだけです。更に稚内公園の高台からも写しました。
『道の駅わっかない』から移動してノシャップ岬へ行きました。この日は曇で礼文島も利尻島も見えませんでした。「ノシャップ岬の碑」と「イルカのモニュメント」の前で写真を撮って戻りました。この時までここも『ノサップ岬』と思ってました。
ノシャップ岬の後は稚内公園に行きました。稚内市街のすぐ西側の丘の上にあるました。ここから朝居た『道の駅わっかない」方面を見ました。稚内港北防波堤ドームが見えました。
防波堤ドームのかなたに航行中のフェリーが見えました。出港してすぐでしょうか。どこに向かってるのか?『Heart Land Ferry』、礼文か?利尻か?この時ならまだ運行していたサハリン航路かも分りません。
稚内公園の色々な記念碑を見ると平和の尊さを考えます。樺太で亡くなった日本人のための慰霊碑『氷雪の門』。降伏したにも関わらず、ソ連侵攻で真岡郵便局で自決した9人の電話交換手の慰霊碑『九人の乙女の像』。昭和天皇『行幸啓記念碑』。
稚内観光情報を見ると
『昭和43年9月、開道百年記念式典のご臨席のおりに、ご来市になられた天皇・皇后両陛下は、稚内公園の『九人の乙女の碑』の前で、当時の浜森市長より九人の乙女の悲話をお聞きになりました。両陛下は、目頭に涙を浮かべられ、深く頭をお下げになり、九人の乙女の冥福をお祈りされました。後日、この時のご感銘を次ぎの様に詠まれました。』
『昭和43年9月、開道百年記念式典のご臨席のおりに、ご来市になられた天皇・皇后両陛下は、稚内公園の『九人の乙女の碑』の前で、当時の浜森市長より九人の乙女の悲話をお聞きになりました。両陛下は、目頭に涙を浮かべられ、深く頭をお下げになり、九人の乙女の冥福をお祈りされました。後日、この時のご感銘を次ぎの様に詠まれました。』
と記載されてます。
御製(天皇) 樺太に命を捨てし たおやめの 心思えば胸 せまりくる 御歌(皇后) 樺太につゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと ただいのりぬる
両陛下の御製・御歌は、行幸啓記念碑に刻まれ、昭和44年8月に除幕されました。
御製(天皇) 樺太に命を捨てし たおやめの 心思えば胸 せまりくる 御歌(皇后) 樺太につゆと消えたる 乙女らの みたまやすかれと ただいのりぬる
両陛下の御製・御歌は、行幸啓記念碑に刻まれ、昭和44年8月に除幕されました。
稚内公園に在る『南極観測樺太犬記念碑』と『樺太犬供養塔』。「稚内公園で第1次南極観測隊に参加する樺太犬の訓練が実施された」との事。南極に残されたタロとジロの話は有名です。昭和30年前半の事。私はそのころ幼稚園児でした。
稚内公園に在る『樺太の庭』。「間宮林蔵が樺太に渡って100周年を記念するために造られたもので、樺太にちなんだ花をあつめました」との事です。
稚内公園に在る『稚内市開基百年記念塔』地上80m海抜250ⅿの建物。この日は生憎の空模様。展望台に登っても視界は良くないと思うので、下から見上げただけでした。
稚内公園には「測量の碑」も有りました。
「北海道に行ったらキタキツネが居る」と思っていたけど、北海道に上陸して12日目。これまで遭遇せず。稚内に来て突然、しかも間近にエゾ鹿を見ました。キタキツネも。キタキツネは思ってたより可愛い。でも餌やり厳禁。噛まれたら大変な事に成ってしまいます。
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