『相生鉄道公園』には実際に使っていた旧北見相生駅の駅舎と車両が保存されてました。旧国鉄相生線の終点の駅だったらしい。阿寒湖に急ぐ途中なので長居が出来ずに残念でした。今は喫茶店が出来て綺麗に整備されているらしいです。
阿寒湖の畔に着いて遊覧船の乗り場に行く途中、『まりもの手湯』が有ったので手を洗いました。御影石の『まりも』。『マリモの唄』の歌碑も有りました。高校の修学旅行の時にバスガイドさんが歌ってくれた『マリモの唄』は懐かしいです。
阿寒湖の『まりもの里桟橋』から遊覧船に乗りました。
思っていたよりも大きい観光船でした。
阿寒湖の遊覧は湖上を遊覧して『チュウルイ島』につきました。『マリモ展示センター』が在えいます。高校の修学旅行で初めて見たマリモの事を思い出しました。『マリモ展示センター』に入る前に阿寒湖を見渡しました。
『マリモ展示センター』で約48年振りにマリモ鑑賞。いや小さいのはどこかのデパートの北海道物産展で見たかも。でも大きいのは久し振り。不思議な生き物です。
『チュウルイ島』でのマリモ見学を終えるともう1度遊覧船に乗って湖上遊覧再開。暫くすると川の様に長細い入り江を航行しました。湖畔の木々が近くに迫って来ます。絶景スポット『十九列島』と『滝口』を望んでターンしました。
この日は雲が垂れこんで阿寒湖の周囲の山々の雄姿を見る事は出来ませんでした。私達は次の観光の事を考え乗船した『マリモの里桟橋』に戻らず『幸運の森桟橋』で下船しました。
阿寒湖の遊覧船から下船して『アイヌコタン』へ向かう道。お土産物屋さんが並んでました。その1軒に『幸運を呼ぶ小人の神様 コロポックル』。
48年前に来た時もこんな雰囲気だった。実際はかなり変わったんだろうけど。『阿寒湖アイヌコタン』。通りの両側に土産物屋さんがビッシリ。アーチに止まるシマフクロウは『村を守る神様:コタンコロカムイ』。高い木の上から国を見守るらしいです。
『阿寒湖アイヌコタン』の土産物屋に『木彫りの熊』店が有りました。
48年前高校の修学旅行。ここで『木彫りの熊』を買いました。結構大きな熊。大阪までは青函連絡船・東北本線の夜行急行・東海道新幹線を乗継。大きな荷物。大変でした。熊の下の置台は汚く成ったので捨ててしまいました。
『生きている養殖マリモ、水道水で育ちます』のPOP。小さいのからかなり大きめの物まで。我が家はもう少し旅を続けるのでパスしました。
『阿寒湖アイヌコタン』から阿寒観光汽船の船着き場に戻りました。ここに在る『きせんビル』の2階の『レストランきせん』。ここの『阿寒やきとり丼』。看板に『たべるシカないっ!!』と。2日連続で昼食はエゾ鹿肉になりました。
阿寒湖に来たらもう1つの見所。地味な見所です。『ボッケ』。阿寒湖畔エコミュージアムセンター裏から北に15分ほど歩くと有ります。アイヌ語で「ポフケ」(煮え立つという意味)から付けられたらしいです。あぶくを破裂させてました。
ボッケの散策路に縦長の大きな石碑が有りました。『何の碑?』、ちょっと分らなかったので帰宅して見て見たら石川啄木の歌碑らしいです。『神のごと 遠くすがたをあらはせる 阿寒の山の雪のあけぼの』と彫ってるらしい。
ボッケからの帰り道、阿寒湖湖畔に在る『マリモの唄』の石碑が有りました。アイヌの悲恋伝説を歌ったものらしいです。私は修学旅行から帰ってすぐ「マリモの唄」のレコードを買いました。岡本敦郎さんが歌ったレコードでした。
この日は東横インに宿泊でしたが、日帰り温泉で入浴しました。『山花温泉リフレ』に行きました。リゾート施設に成っていて施設の整った風呂でした。敷地内では馬車も走ってました。
ホテルに着いて一服したら2日前に大雨で行かなかった釧路市街地の散策をしました。取敢えずJR釧路駅へ。
釧路の繁華街に戻ると急に賑やかに成りました。大きなトラックでやって来たのは『北海道くしろ 蝦夷太鼓』。迫力充分。「何で来はったんやろう?」『くしろ祭り』と呼ばれる『厳島神社』の夏祭りが関係してたんでしょうか?第2土曜日でした。
釧路の繁華街、『北海道くしろ 蝦夷太鼓』の皆さんは暫く太鼓を叩いて盛り上げてました。車が去って静かに成ってふと見ると『946』と書いたラーメン屋さん。その前に鮭を両手に1尾ずつ持った漁師と思える男性の像。
この日の食事は久し振りにラーメンにしました。北海道3大ラーメンと言われる釧路です。『河むら』さんの『昔風ラーメン』を食べた様に思います。あっさり味で美味く感じました。
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