2016年7月31日日曜日

16/03/15スペイン・ポルトガルツアー12日目②帰国

セゴビアからマドリッドへ。道路から見える山々はここでも雪景色。出発前に調べたら前日のアビラやこのセゴビアの気温が一番低かった。『3月中旬なのに』。確かに北部だけれど。
マドリードの『バラハス空港』へ。この日の昼食はツアーには付いてません。「空港でファーストフード」のつもりでしたが、朝食を食べ過ぎて食べる気が出ませんでした。
マドリードの『バラハス空港』の『シャトルトレイン』に乗るためエスカレータで下りました。乗り場は地下にありました。
マドリードの『バラハス空港』の『シャトルトレイン』」は空いている時間帯だったのか?座って乗れました。編成も長かった様に思います。
マドリードからカタール空港でドーハへ。乗って暫くすると機内食。やっぱり空港で食べなくて良かった。帰りも2食でした。降りる前は朝食なので軽食でした。
ドーハ空港では大きな黄色いクマさんに再会。関空へのフライトも機内食は2回。合計4食でした。カタール航空は関空便を3月31日で休止したので、このツアーもこの後は別の航空会社の利用でした。


16/03/15スペイン・ポルトガルツアー12日目①セゴビア

『ホテル プエルタ ドゥ セゴビア』の玄関の屋根には国旗が掲げられてましたが、残念ながら日本の国旗は有りませんでした。
この旅の最後の観光、セゴビアの旧市街へ向かいました。セゴビアは水道橋で有名です。読めないけれど碑文が有りました。『UNESCO、SEGOVIA、1985』以外は分りません。

『ARTILLERIA広場』の『ロムルスとレムスの像』:ローマ建国の伝説『狼の乳を飲むロムルスとレムス(双子の兄弟)』の像です。水道橋建設2000年を記念して置かれたとの事です。
バスを降りた『ARTILLERIA広場』から見た水道橋です。スペインで一番有名な水道橋です。確かに今まで見た水道橋の中も一番立派でした。壮観でした。
セゴビアに来てビックリしたのが観光施設への道案内板(道標)。スペイン語・英語・日本語の表記でした。海外でこんなのは記憶に有りません。日本人の先人に感謝。勿論セゴビアの人達にも。
観光が始まって振り返ると立派な水道橋が見えてました。写真右上は『カサ・デ・ロス・ピコス  (くちばしの家)』壁に無数の突起が飛び出してました。左下は『アルプエンテ伯爵邸』です。
『きぼうの手 MANO DE ESPERANZA』の立て看板。スペインで日本語なら「何かな?」 『東日本大震災をきっかけに自分たちの手を撮影する活動を始めました』の交流イベント。
『サン・マルティン教会』、「中世の『カスティーリャ王国』を象徴する素晴らしい教会」との事でした。写真は『ファン・ブラボ通り』から撮りました。
『サン・マルティン教会』に隣接する『サン・マルティン広場』には『ファン・ブラボ像』が立ってました。そして1対の『スフィンクス像』は2人とも女性。人魚に見えるので『人魚の広場』とも言われてるらしい、少し北側には2人の子供が大きな魚を捕まえた『怪魚の像』が有りました。
散策した通りです。朝、まだ9時に成ってませんので、観光で歩いているのは私たちのツアーの人だけ。まだ街もひっそりとしてました。時折納品の車が通りました。
カテドラルの南側の『ラ・アルムサラ通り』を通って『ラ・メルセー広場』を抜けたら建っていた『サン・アンドレス教会』。セゴビアでは主要な観光施設に外観と内部の写真が掲げられてました。
『サンアンドレス教会』から『ダオイス通り』を通っていると『ラ・レイナ・ビクトリア・エウヘニア広場』に行き当たりました。この広場の門をくぐった先に『アルカサル』がありました。
『ラ・レイナ・ビクトリア・エウヘニア広場』の中央に記念碑が建ってました。『ポレオンに対する5月2日の反抗者への記念碑』との事。砲兵隊長ルイス・ダオイスとペドロ・ベラルデの碑との事。
『ラ・レイナ・ビクトリア・エウヘニア広場』辺りは高台になってました。眼下に郊外が見渡せました。牧歌的な風景が広がってました。
『ラ・レイナ・ビクトリア・エウヘニア広場』から眺めて風景の中で、一際目立ったもの。『ラ・ベラ・クルス教会』でした。中世の頃からほとんど変わっていない様な風景でした。
『ラ・レイナ・ビクトリア・エウヘニア広場』から眺めた『アルカサス』。残念ながら修復工事をしてる最中で、覆いが張って有って全景は見れませんでした。
アルカサスを眺めた後は水道橋へ戻りました。ベラルデ通りを通りました。一ケ所建物が途絶えて見晴らしの良い場所は『Mauricio Fromkes公園』。9時半、土産物店が開きだしました。
『カテドラル』まで戻って来ました。ここも大きな立派な教会。大聖堂ですから、当然でしょうが。
カテドラルの前に広がる『マヨール広場』。『ファン・ブラボ劇場(写真左下)』や『市庁舎(写真右下)』が広場に面して建ってました。
しばらく旧市街を歩きました。往きの1本北の通りでした。『サン・マルティン教会』の北側を通って『OBISPADO』と言う教会の横を通って『PAvendaño広場』へ。
『PAvendaño広場』からアーチを潜り抜けました。ここの中央に『マリア像』が掲げられてました。下の写真は水道橋の中央に有る『マリア像」です。

『PAvendaño広場』は最初は気づきませんでしたが、高台に有りました。ここからバスを降りた『Artillería広場』とを見下ろせました。
『PAvendaño広場』から水道橋に沿って降りました。登るのはしんどいでしょうが、下るのは楽で何か所か立ち止まって写真を撮りました。降りて来たのは『Azoguejo(アソフエホ)広場』。
水道橋の足元の広場の西側は『アソフエホ広場』。ここに観光案内所が有ってショップがセゴビアグッツを売ってました。この『赤い牛』はセゴビアのゆるキャラなんでしょうか?
近くに有ったレストランの看板。『Cochinillo asado』はセゴビアの郷土料理です。『仔豚の丸焼き』。美味しいのでしょうが、私は可愛そうで食べれないと思います。
観光センターに水道橋のイメージポスターが貼ってありました。この時は3月だったので、もう1ヶ月後ならもっと素敵だったかもわかりません。
水道橋の近くから見た遠景です。
バスに乗って移動しました。乗車の前に見た見た水道橋です。見れば見る程見事でした。
『アルカサス』を遠望できる場所でバスは停まりました。ここで写真を撮りました。この角度では工事中の覆いは見えませんでした。ディズニー映画『白雪姫の城のモデル』と言われるこのお城の姿をカメラに収めました。


2016年7月30日土曜日

16/03/14スペイン・ポルトガルツアー11日目:③アビラ

『アビラ』へ向かう道中、バスの車窓から高速特急が見えました。マドリード行の列車なんでしょう。
アビラに向かう『アビラ=サラマンカ高速道』、ここでも途中で車窓から遺跡が見えました。
元々『アビラに立ち寄り』『クアトロ・ポステス展望台より城壁と旧市街の眺望』と行程表では記載だったので、左程期待もしてない場所でした。ところがバスがアビラに近づいて車窓から目にした風景。「凄い」と思いました。街が立派な城壁に囲まれてました。
展望台が有りましたが、バスは展望台で停まらずどんどん旧市街へ近づいて城壁に沿って進んで行きました。
バスが停まったのは『Centro de Recepción de Visitantes』、いわゆる観光案内所でした。無料のトイレを借りました。ここが閉まるギリギリセーフの時間でした。
観光案内所には城壁のライトアップのパネルや観光名所のミニチュアが展示されてました。見ている間も無く、「閉めるので出て行って」と言われ出ました。仕事を終える時は時間に正確です。もう少し見たかったけど仕方ないです。
アビラ旧市街の観光は無く、バスに乗って展望台まで戻りました。アビラ旧市街が高台にあるので、途中に市外の風景が見えました。
壮観な城壁に包み込まれるようにそびえる要塞都でした。「12世紀当時の部分がほとんど見事に残っている」、「全長2.5km、平均の高さ12m、厚さ3m、88の塔に9つの門」との事でした。
アビラの城塞を一望できる場所が『クアトロ・ポステス展望台』です。4つの柱に囲まれて十字架が立ってます。立ち去り難い眺望でした。
アビラはスペインの県都としては一番の高所、標高1127mの高地にあります。その中でも1番高くそびえる建物。何か分りません。カテドラルと思いましたが、デザインが少し違う様に思えます。
アビラから次の目的地に向かいました。「アビラはスペインの県都としては一番の高所」と言う様にバスの走る道から見える山々は皆雪化粧。道からはそんな高い山とは思えませんが、「標高1127mの高地」だから3月半ばでも寒かった。
もう夕暮れ時。綺麗な夕焼けでした。
この日は『ホテル プエルタ ドゥ セゴビア』に宿泊しました。
食事はホテルで頂きました。スープにカニカマの様なモノが入ってました。
この日は『ホテル プエルタ ドゥ セゴビア』に宿泊しました。食事はホテルで頂きました。スープにカニカマの様なモノが入ってました。